教養科目は問題解決能力を高める

記入日:2006/9/20

昼時、いつも行くファーストフード店が学生連中でごった返していた。おかげで入ることが出来なかった。今日が始業式だったのだろうか? この時間帯に腐るほどいるなんて……。何にせよ、ダラけた感じの学生を見ていると、いっそ学校なんてシステムをなくしたらと言いたくなってくる。

学ぶということが必要だとしても、あれが効率的な学習スタイルだとは思えない。もっと自分に合わせたスタイルで学歴というものが得られるべきだ。通学と大検だけでは幅が狭い気がする。具体的な案を出すほど元気がないので出さないが、書き始めたついでで言うと教養的な学問も大概にして欲しい。

あんなのばっかりやらされるから、現実社会に適応しづらくなるんじゃないのか? 今の日本社会、会社はあれが役立つ場所だとでも言うのか? いつまで、「教養科目は問題解決能力を高める」なんていう立証されたのかもわからない論理に付き合わされなければいけないのだ?

勉強で思い出した。この夏にやろうと思っていたことが進んでいない。家に帰るともうグッタリ気分なのだ。いや、正確に言うのなら頭が働かない、頭の回転が悪い感じだ。考える力が低下している、麻痺していると言ってもおかしくはない。

この原因は何か、「やる気」と言って片付けることもできるが、やはり職場での緊張感と週一の休みが原因のような気がする。金はいいから、もう少し休まないと一番大事なチャンスを逃してしまいそうだ。

詐欺呼ばわり

Aという男の人がいる。その人にはBという奥さんらしき人がいる。ある日、Bさんがとある契約をしてお金を払った。ある日、AさんがBさんの契約した内容を破棄し、契約金の返還を求めてきた。AさんとBさんは夫婦であるという認識のもと、夫婦間では財産を共有しているという点から返還に応じた。

そして今日、Bさんから金を返せと言う連絡が入る。おまけに詐欺呼ばわりだ。実はこの件、Aさんが小遣いほしさに言ってきたらしいという情報も入っている。奥さんに小遣いをあまり渡されていないと、世の夫の中にはこういう手段に出る人もいるのかと考えさせられた。いやまぁ、このAさんはまともに働いていない感じもしたが……。

心から悪いと思わないなら謝るな

一昨日だったろうか、経理のオバサンが街で次のようなやりとりを目撃したらしい。若い兄ちゃんが謝っている中年女性に、「心から悪いと思わないなら謝るな」と怒鳴っていた。いわゆるまぁ、喧嘩の場面なのだが、どうもその男の言葉が頭に引っかかった。

心から思わなくても、謝らなければいけない状況というのが、社会に出れば山というほどある。それを知っていれば出る言葉ではないだろう。何となくではあるが、彼は「心から悪いと思わないなら謝るな」という考え方のようなものが、自分が発見した世の人が気付かぬ真理とでも思っているのではないかと思えてならない。

 

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