俺は他と違う

記入日:2006/9/25

繰り返す言葉は役立たず。別に役に立っていない訳ではないのだが、何かこう……自分としては満足のいく働きではないから、胸の内で幾度となくその言葉を繰り返してしまうのだ。そう思うのは月曜日のことがあるからなのかもしれない。というか、ハッキリ言ってそうなのだが……。

話は変わる。屁理屈ばかりで払うべき金を払わない人種には塾の講師というのが少なくない。その中の一人を紹介する。そいつの場合は、払う意思があると見せかけるためにかどうかは知らないが、払うべき金額の1割程度を、ちょこちょこと入れてくるのだ。こういったやり方をされると、法的には払う意思がないとは言えなくなって厄介だ。おまけにコイツ、弁護士を通して送らせた書類を受け取らないときている。やりづらいったらありゃしない。

そんなこんなを受けて、この前の続きのような感じになってしまうが、本当に学問とは必要なのかについて疑問符が付く。もっと直球に言えば、学問は人を腐らせるのかとさえ言いたくなる。理屈に走れば走るほど、現代社会で社会人として働きづらくなる気がしないでもないし、理屈に走りやすく特異な人間というのは、得てして社会性のない人間だったりする。

そう、その足りなさを他の何かで補おうと、屁理屈や要らぬ知識に走って、一人だけ「俺は他と違う」と悦に入るのだ。満たされない何かをそうやって補うのだ。そして、好意を抱かれる存在からかけ離れ、そうなっているのは社会やバカな他人が悪いのだと嘆き始める。そいつが好かれないのも、友人が少ないのも、環境や取り巻く人減のせいでもなく自分自身だというのに。

ムカツクタイプ

ものには順序というものがある。何かの工事等をする際には、見積もりをだしてからというのは至極当然な流れだ。ところが、ある会社の担当が早く修繕をしてくれと言ってきたのはいいが、見積もりが出た後に検討してからと言うと、「いつ出るの? 十年後? それまで壊れたまま?」と言ってきた。ふざけているんだろうが、ムカツクタイプとしか言えない。昨日の彼と一緒で、言っている本人は何らかの悦に浸っている可能性大である。

相続税

相続税を払えなくて土地や建物を売る人の話を何度か聞いた。そういった物件を買いに出て、別の人に売って儲けるのは業界では日常茶飯事らしい。別に私がしているわけではないが、因果な商売だと傍にいて思わずにはいられない。因果といえば、物件の所有者の葬式には、同業の者の他に銀行員がよく来るらしい。

 

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