連鎖入院

記入日:2006/11/25

しばらく検査のため入院していた人が職場に戻ってきた。ただそれだけの話ではあるが、次は誰が倒れるかという雰囲気がある。実はここ数ヶ月、社内では相次いで病院送りになっているのだ。

最初にW支店のベテランが倒れて救急車。脳内で出血があった模様。一時は意識不明の状態だったが今は回復、それでも話したいことをうまく声にできないらしい。なので一日十数分のリハビリをしているそうだ。ちなみに、親族からは「(職場の人間{特に上層部}は)もう見舞いに来るな」とのことらしい。働かせすぎが原因だと思われているのかも。

次にN支店の営業が入院している。なかなか風邪が治らないと思っていたら、喉に膿ができていて……ということで、その処置のための入院だったらしい。その後かはわからないが、過労のために運ばれたとか……。その支店の先輩株が言うには「過労? そんなに働いていたの? 過労で倒れるなら、まず本店の人からでしょ」だそうだ。

そして、今回 退院した人である。何かのウイルスにやられたらしく、急に腹が痛くなって何も食べられなくなり、ずっと点滴をしていたのだという。腹痛の後には全身の痛みがあったそうな。この人の彼氏も似たような症状になったらしい。

こうも色々あると、早く次の職場にと思ってしまう……。つなぎの仕事だしね。

感情的な討論

先々週に引き続き、講義内で発表があった。NPO法人を立ち上げることをテーマに、各グループで話し合って決めたものの発表だ。いろんなNPO案が出されたが、その多くはコミュニケーションの場づくりだった。また、その活動への参加を単位として認めるという案が現役生から幾つか出された。中にはボランティア活動を必修にし、そういった活動を知らしめる必要があると唱えたところもあった。

それに対し、社会人学生の中年男性から、強制してボランティアと呼べるのか? 自発的に行わないと定義に反するのではないか? といった各種メディアでよく見かける意見が上がった。その点に関しては、実際にもう必修として高校時代に行ってきた現役生は、何を今更的に「ひとつの案としての話です」という言い方をしたような気がする。これだけなら、よくある発表に関する質疑応答に過ぎない。世代間の捉え方の違いを感じなくもないが。

問題はその中年男性のグループの発表が終わった後、先にボランティアの定義からして云々の意見をぶつけられた発表者が、内容どうこうよりも中年男性憎しの感情むき出しで質問し始めたことだ。意地でも粗を見つけて叩きたい、さっきの腹いせをしたいというのが見え見えだった。醜いな、と思わずにはいられなかった。

こういうのを見ると、ディスカッションをできる人とできない人がいることを思い知らされる。自分の意見への反論があったとして、その意見の相違を受け入れられるか否かは本人の資質の問題である。私もそのきらいがあるが、自分の意見への反論があると、それに一理あったとしても発言者への不快を感じてしまう人がいる。プライドを傷つけられた気がするからだろう。

こんなことを書くと、討論を喧嘩と同じでみっともないものとして捉える祖父のことを思い出すが、実際問題において親しい間柄でいたいと思うなら、「自分の意見と違う」と言わない方がベターな場合が多々ある。そういう社会なのだと、この国に生きて思ったことは多々ある。

まぁ、今回のケースは中年男性も、感情的な現役生も、発表スタイルそのものが嫌な感じだったことが大きいだろう。言い方ひとつで敵対的質問にもなれば、相手に配慮した質問にもなるのだ。あの挑戦的で偉そうな物言いは反感を植え付けるには充分だった。それだけのことなのかもしれない。

 

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