火災対策提案

記入日:2007/1/4

火事から三日も経つとだいぶ落ち着く。家の外に出ると、依然として煤の匂いがするが、地域はいつもの穏やかさを取りもどしている。焼けたアパートも撤去作業が部分的にではあるが始められ、今日は崩れ落ちた部分と落ちてきそうなトタン屋根が片付けられた。今まで、あまり日差しが入ってこなかった窓から、明るい日の光が入ってくるようになった。

こういった経験をして思うのは、重要なのは災害時に冷静でいられるか否かである。災害時は、ひとつの判断が大きく運命を左右するのだ。私は火災を知った後に一度部屋に戻っている。まだ、戻れると判断したからだ。この判断が誤ったものだったら、私は生きていなかった可能性がある。

だが、部屋に残してきたものを焼失する可能性に我を失うことなく、冷静に炎の勢いを見て戻れると判断できた。その結果、通帳などを持ち出した上に、外出着に着替えることができた。おまけに、炎に煽られている窓付近のものを寄せることができた。

ここでものを寄せていなかったら、割れた窓から吹き出した炎が引火し、今以上の被害をもたらしていた可能性もある。現に、窓に向かって開いたままだったドアの表面は、火に炙られた跡が残っている。まぁ、所詮は素人目に見ての話だ。

今回、通帳などの貴重品を持ち出せたのは、全部をまとめて置いておいたからだ。よく、防犯のために貴重品は分けてというが、そうすると火事の時には困ったことになってしまう。やはり、私はひとつにまとめておいた方がいいと思う。防犯的には部屋に入られた時点で負けだと思うし……。

また、まとめる際にはそこに携帯用のラジオ、懐中電灯(火災後は電気が使えなくなる)を入れておくといいだろう。どれも緊急時に必要になるものだからだ。そして何より、常日頃から部屋を片付けておくことが大切だ。いざというとき、どこに何があるのかわからないようでは物を部屋に置いている意味がない。

また、部屋が散らかっていては逃げる時の邪魔になる。それに、部屋にゴミが多いと燃え移る物が増えることにもなる。というか、火元となった部屋の住人はベランダに、レジ袋に入れたゴミを放置しっぱなしにしていた。あのだらしなさが今回の火災を招いたんじゃないかと私的には思っている。

火災で寝る場所を失う

次に逃げ出した後の話。まずは何処に行けばわからないのが大きい。被害を被ったものとして、現場から離れない方がいいのか、そういったことが判断できないまま一時間近く現場にいた。数時間後には火災対策事務所的なものができていたが、こういうときにもっとうまく連携が取れたらなと思う。

同時に、その日の寝床を失ってしまった人のための借宿を、あらかじめ地域ごとに用意しておくべきだと思った。まぁ、私は知人の家にあがらせてもらったのでよかったのだが、友人0でホテルが取れなかったら厳しいことになっていただろう。それでなくても、完全に家を失ってしまった人が今どうしているのかを思うと、こういったときの対策マニュアルが欲しい気さえしてくる。

最後に災害アイテムの提案である。火事の時は何でも焼けてしまう。火災保険関係の資料も燃えてしまう。燃えてしまっては、使うべきときに使えない。そこで、焼けない証明書を作るべきだと思うのだ。

まぁ、保険会社としては焼けてくれた方が有り難いのだろうけども。あと、ホースを買っておいた方がいい。今回は火災に気付いた時点で窓を開けられる状況になかったので無理だったが、もし私の家から隣に放水ができる状態だったならば、蛇口にホースを繋いで放水しても良かった、というか、消化器が備えられていれば更に良かった。水だとかけ方次第では酷くなると聞くし。

火事に関する事後処理

今日から仕事始めだった。以前なら、1ヶ月の休みが4日なんて日がザラだったのに、正月休みだけでもう4日休んだ後の出社である。なんだか、もうすっかり仕事の気と呼ぶべきものが抜けていた。とはいえ、散漫な集中力と腐った脳でもやれる仕事しかしていない。いや、逆にそれで問題がないから腐ったままなのかもしれない。

話は変わり、引き続き火事に関する事後処理。まず、今日になって近所のクリーニング屋が営業し始めたので、水浸しになって汚れたカーペットを持っていた。ところが、濡れている物は預かれないと拒否された。どうせ洗う時に濡れるのに? なんて思ってしまった。預かられないまま持って帰るのが面倒&格好悪いので余計に思った。

元旦のお泊まりの件。家が焦げ付いた&電線が焼けたために、偶然行き会った知り合いの女性宅に泊めてもらったのだが、そこで晩ご飯にカレーを作ってもらい、朝はトーストと野菜とゆで卵にほうれん草を出された。それ以外の時間は、火災のニュースがやるのを待つ意味もあり、ずっとテレビを眺めていた。箱根駅伝、ラグビー、芸能人格付けなどを、あれこれ話しながら観ていた。

私としては、家の状態がまだわからなかったので、心の底から楽しむことはできなかったが、振り返ってみると悪くない時間だったような気がする。最近、人付き合いが面倒に思えていただけに、こういうのも悪くないなとは意外な感じがする。それに気付かせるための、神が仕組んだ火災だとさえ思えなくもない。

とはいえ、火災の不安は今も残っている。例えば一昨日など、少し出かけただけで、外出中に火災なんかになって、帰ったら家がなくなっていないかという不安にかき立てられた。これも一種のトラウマというのだろうか……。家にいなければ不安、いればいたで隣の倒壊が不安という二進も三進もいかない環境にあるのだが。

 

ランダム・ピックアップ