夢は逃げない

記入日:2007/4/10

タイトルの言葉についてだが、これはとある雑誌で見かけた言葉だ。「夢は逃げない。自分が夢から逃げてしまうだけだ」と続く。私は夢という言葉も、それについて語ることも、正直言ってあまり好きではない。だが、弱気モードのときに目にすると、この手の言葉にはやられるところがある。

夢、夢、夢……。世間知らずの若者が叫ぶそれを好きにはなれず、社会の仕組みを理解しないまま芸のみで生きる者が叫ぶ夢を聞き飽き、私はいつしかこの言葉を用いる人間すら嫌になった。とはいえ、目標なく生きているわけではない。

ただ、その「夢」や「希望」という言葉に宿る汚れ無き純粋さや、手あかの付いた重要性論が胡散臭いだけで、似た類でありながら聖職者が重要性を説くこと無き「野心」と「欲望」は持ち続けているのだ。

同情票=政治を考えていません

区議ともなれば、規模が小さいからか、知らぬ名前ばかりが並ぶ。知名度があればいいというわけではないが、やはり注目度は下がるというもの。その上、街頭での活動も政策などを訴えるわけではなく、候補者の名前を連呼して「お願いします」のみ。こうなれば人気投票と大差ない。

そんな区議選の一方で、夕張市のような注目の選挙もあった。ここの場合、あの羽柴秀吉が大差を付けられずに2位に付けていたのに驚いた。財政難ともなれば、金持ちの金ばらまき発言に魅力を感じるのかもしれない。人物像など抜きにして。

この御仁、様々なよろしくない発言で知られる、どんな選挙にでも出て落ちる人である。選挙活動で色々な訴えをするのだが、何というか事の本質を理解しているのかと思う節がある。「車の免許もないのに、国土交通省の大臣で道路について語るのは如何なものか」的な主張も過去にはあったと記憶している。政策はそんなものではないだろうに……。

市長が銃弾に倒れた長崎では、義理の息子ではなく市役所職員が当選したようだ。選挙ではよく同情票という言葉が使われるが、今回の件はまさにそれを狙った出馬という見方がされていた。しかし、結果から言えばそれは叶えられず、メディア的には「有権者は世襲を認めなかった」となっている。

だが、どうだろう。安易にそう言ってしまっていいものか。投票者の中には前市長の名を書けば、義理の息子に入ると思った人もいたようだ(馬鹿な話だが)。それから、世襲という悪しき慣習にNOというより、義理の息子の印象が悪かったせいにも思えるのだ。あの出馬の際の映像、彼の表情は笑っているように見えるのだ。義理の父の死を前にしてだ。本当のことは知らないが、少なくともそう映っていた。

それにしても、同情票なんていうのはイコール政治を考えていませんとも思える。逆に言えば、投票者にとって誰に入れても同じだから、という部分があまりにも強いのかもしれない。「あの人、かわいそうだから……」、これが人気投票ならば問題ないのだが。

トラブルが飯の種

職場で弁護士費用の話が出た。自社の件に関しては顧問弁護士に相談しているので、一般の人が聴くのとは会計が違ってくるだろうが、その人は普通に電話で聞いたところ、1時間で2万円という請求が来たらしい。

何の相談かは知らないが、その人が大家なだけに店子と修繕工事の件か何かでもめたのだろうと想像がつく。しかし、それにしても時給2万円である。弁護士になるためにかかった時間や、なれなかった場合のリスク等々を考えれば、そういう金の取り方になるのかもしれないが、人のトラブルで金をわんさか取って生きていける辺りに恐ろしさを感じる。

もしかしたら、その受け取る額すら自分の物差しで測った2万円であって、渡した側の物差しで測った2万円ではないのかもしれない。大家も金のない大家から持っている大家までピンキリだが、少なくとも非日常的な取引に分類されるべきあろうことだろう。

 

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