塔から眺める東京

記入日:2007/4/27

職場に近くに建設されたタワーマンションを見に行ってきた。タワーマンションは2つあり、1つが完成し、もう1つが今も建設中となっている。今回行ったのは、勿論出来上がった方なのだが、今も引っ越しの真っ最中と見えて、壁にクッション用のダンボール等が貼られたままだった。

このマンションの鍵を1つ、内見用に当社が預かっているので、5階にある部屋を見せて貰った。この部屋自体は特筆すべきものはない。印象に残ったのは30階にあがって見た風景だ。

東京とはいえ、閑静な住宅街が目立つ土地の風景ではあったが、見渡す限りのビル群は何かの基盤のようでもあった。地平線の代わりに、見渡す向こうのビル群が蜃気楼のように見えた。

この無機質なビル群に幾千もの人が入っているのである。このタワーにも百人以上の人が入る。それなのに、その建物群に持つイメージは頑丈さではなく、脆さだ。建物群の崩壊とともに消え去る、今そこにいる人々。

建物群が小さな事で消滅してしまいそうで、同時にその場所にいる人も消えてしまいそうで、やたらと街が儚く思えてしまった。今、地震が来たら、ミサイルが飛んできたら、その時点で街は成り立たなくなってしまう。後者の場合、その驚異は人類が生み出した物だ。そういったところにも、人という存在の儚さを感じるところがある。

地上30階から見下ろした街は、ミニチュア模型のように、ゴジラに踏み歩かれるのを待っているかのようだった。上に立った者は、下をそういう風にしか見られないものなのかもしれない

トイレを磨く

先週だったろうか、掃除中の駅のトイレで用を足し、出ようとした際に掃除婦と接触した。入り口付近にいた彼女をかわせると思ったのだが、急に動かれたのでお尻の部分に私の足がぶつかった。年に似合わぬ高い声を出して、彼女は「言ってくれればいいのに」と言った気がする。しかし、あの声……。まるで、痴漢にでもあったようだった。いくつになっても、痴漢の被害に遭うという概念は捨てないのだろうか。

それを受けてか、今週になって彼女の姿を見なくなった。配置換えを申請したのだろうかと、何となく考えてしまった。個人的には違う人が担当になってよかった。前の担当はトイレを水浸しにするばかりで、細かなところに配慮がなかった。

便器に黒い水が溜まったまま、トイレットペーパーがびしょびしょというのもザラだった。それに比べて今度の担当は、私が行く時間には床がほぼ乾ききっているし、汚れもきれいに取れている。

仕事への姿勢が違うと、日々思いながら使用している。毎朝、職場に行く前に使うので、きっちりやられているほうが、この後の自分の仕事もきっちりやる気になりやすいってものだ。

 

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