お茶をかけられる

記入日:2007/6/22

よくテレビドラマなどで、お茶や水を人にかけるシーンがある。だいたいが、若い女性が男に足して、またはライバルの同性に対して行うように思われる。それが今日、職場で現実の出来事としてあった。ことの発端は、当社の社員が待ち合わせに指定した時間帯に、お客さんが来たのに当の社員は急な契約でいなかったことにある。

今まで何だかんだと面倒な手続きで呼ばれた彼女は、ストレスが積もりに積もっていたので、呼ばれて行ったらいなかったことに憤慨。社員としては、書類を受け取るだけなんだから、他の者でもいいだろう的な気持ちだった。で、その社員が戻った後に色々と言い合って、お茶をかけられたわけである。

指定した時間帯にいなかった社員に非がある訳だが、実は このお客も指定した時間に来ないことがあった。まぁ、それはそれである。遅れてやって来た社員の謝り方も下手なこともあったろう。「私のことを軽く見てるんでしょ? 約束の時間にいなかったというのは、そういうことでしょ」という問いつめに、素直に「そうとられても仕方ありませんね」的な言い方をして火に油を注いだのだし。嘘でも、決してそんなことはありませんと言うべきだと私は想う。

うちのような業界では、こういうことも珍しくはないのかもしれないが、さすがにお茶をかけられれば、社内からは同情の声も出てくる。その反響に、むしろかけられてよかった気さえする。もし、かけられなかったら同情がない分、上司からの苦言もきついものになっていただろう。

振り返り思えば、その社員は最近ちょっと勤務時間中の私語が多い気がする。気が抜けている、そんな感じがする。そういった感覚が招いたひとつの結果として、油断していれば何かミスをするという我が身の教訓と換えることとする。

逆にお客である女性の方だが、この人はいわゆるバツイチである。夫に別れられて子どもと二人暮らしの無職。慰謝料暮らしの人なわけだが、こういった人は社会的信用が問われるカード等では敬遠される。そういったことが身に染みた、いや それ以前に旦那に別れられたことで、自分が軽んじられることに過敏になっているのか、「私のこと、バカにしてるでしょ?」「軽く見ているでしょ?」という言葉を連呼していた。

そういった精神状態が、お茶をかけるという行動に繋がったように思う。つまり、自分を軽んじるものは決して許さないという行動原理は、相手に対して何らかの反撃を必要とし、その相手の向こうには別れた旦那の姿を無意識に見ている気がするのだ。まぁ、単なる推測の話だが。低所得者層の人が高所得者層の人を蔑んで欲求を晴らすのに似た感覚だ(サービス業の人に絡んだりするあれ、もしくは お客様センターに必要以上の苦情を入れるあれ)。

感じの悪い人

世の中には感じの悪い人というのがいる。たぶん、今日 職場に来た業者の一人もそう思ったのだろう。しかしだ、この業界で地図も持たずにやって来た上に、道もロクにわかっていないというのはナンセンスな話だ。

しかも、アポ無しで来るんだから門前払いされても文句は言えないはずだ。なのに、無知とは怖いもので、ここは不親切だからやめる、みたいな顔をして去っていった。

ミートホープ

夜のニュースでは偽装牛肉の話題が各局で取り上げられていた。その中で、ミートホープが豚の心臓で牛肉もどきを作っていたという内容があった。レポーターは豚の心臓を食して、牛肉と変わりません的なコメントを残している。

だったら、牛肉と同じ味の豚肉として売ればよかったろうに(豚の心臓という名前を出しては、まずダメだが)。売方次第でヒット商品になる可能性もある。まったく、その才能を別の方向で生かせよって感じだ。「鳥はむ」みたいなもんでさ(?)。

 

ランダム・ピックアップ