障害者の物売り

記入日:2007/7/6

店内に突然男の二人組が入ってきた。たどたどしい日本語で「僕等が作りました」とタオルか何を売ってきた。時折来る何らかの障害を持つ営業マンだ。彼らは経理のオバサンが購入すると帰っていったが、正直言って飛び込みの営業でモノを売るのは、店舗系事務所にとって迷惑なものだ。押し売りに「間に合っています」と言わなくてはいけない面倒くささ以上のものだ。

だが、障害者相手だと……なわけである。彼らにそう仕向けた相手をあざとい、いや素直に言えば腹が立つところがある。飛び込みの物売りはこっちの貴重な仕事時間を使わせるということを、先方はわかっているのだろうか? これで購入して貰えなかった、帰れと言われたからといって、あそこは冷たかったなどと言おうものなら御門違いだ。飛び込みの物売りは冷たく扱われる、それが一般的な扱いなのだから。

しかも、ハッキリ言って要らないものを売るわけだ。これを果たして本当に社会参加と呼べるのだろうか? いいものは売れる、いらないものは売れないという社会の厳しさの中で、特別扱いで物が売れることを知ることは、彼らにとってどれだけのプラスだというのだろうか?

かといって、国の補助だけで暮らしていくのも難儀だろう。故に何らかの賃金を得る手段も必要かとは思うが、そういった行動は時と場所をわきまえてほしいと思うのだ。これではまるで仕事の邪魔になるから、金で引き取ってもらっているようなものなのだ。それに、こういう状態で彼らが作ったものを買ったとて、決していい気持ちになりはしない。これこそが問題なのだ。人を不快にさせていることを学ぶ必要があるはずだ。

言いたくはないが、福祉関係者の中には、社会に出ずにその世界に飛び込む人が少なくない。世の中を構成している無数の会社という組織が、どういう仕組みで動いているのか知らないために、無知のままに仕組み故にNOを言う相手を冷たい人物と見なすことがある。その辺をわからなくてはならない。

前に「福祉関係の仕事をしています。もしあったら、4万円台の風呂付きの物件を」と言われ、店長が「無いですね。この辺の相場的に……」と言ったら、「もしあったら、ですよ」と言って去っていった。このわからず屋めという顔をしていた。店長としては親切心で、その値段で探してもここじゃ見つからないよと言っていたのにだ。

最初の「福祉関係です」は自分の正当性のアピール、そして「無い」と言われた後の顔は「福祉に理解のない奴」を見る目だった。その人の中では自分に協力するか否かが、福祉への理解とイコールになっていたように見受けられる。自分は福祉への無理解と闘っているという顔を、その人はしたまま去っていった。ああいう人こそが、知るべき福祉があると思うのだ。

生かさず殺さず

職場での何気ない会話で、管理部主任が経理の新人と給料は大差がないと言っていた。謙遜も少しあるのかもしれないが、もし本当だったら、それでよく転職を考えないなと驚く。

仕事を探すのすら億劫になるほど、この会社でこき使われているからなのかもしれない。江戸時代の農民のようなものだ、生かさず殺さず、経営者に利益をもたらす人材に、か。

W-DRY

どうも頭が痛い。仕事から帰ってシャワーを浴びた後、あまりの痛さに眠ることにした。原因は何だろう? 昨日呑んだ酒だろうか。昨日呑んだのはW-DRYとかいう酒。発泡酒かと思いきや、よく見るとリキュールと書いてあった。

なるほど、安いチェーン系居酒屋のカクテルで悪酔いしたときに似ている。味的には悪くないが、後でこれが来るなら避けた方が無難かも。まぁ、あくまで個人的な感想である(それも体質的な)。

 

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