テレビに出させてやるぞ

記入日:2007/8/30

職場にはテレビ局から電話がかかってくることがたまにある。うちで管理している場所を撮影で使用したいというものだ。無断で使う訳にはいかないので当然の話ではある。問題なのは使用させたとして、うちには何の利益もないのに上から目線っぽいところだ。

「テレビに出させてやるぞ」という一種の権威的な発想。テレビに出れば儲かるぞ、客が増えるぞという感覚が解せない。第一、ちょこっとテレビに出たって客が押し寄せるような商売をうちじゃやっていない。そもそも、いまどきテレビの特集で~と思ったが、まだテレビに踊らされる人は多いか……。

ということで、普通に協力料として金銭をよこせという話。場所を使わせた挙げ句に、何時間も立ち会わされ、一円にもならないのでは、ビジネスとして拒否したくなるのも無理はない。前にテレビで紹介されたが、それで何か利益に繋がったのかといえばNOなのだ。

社会正義

さて、そのTVのことで違う話。だいぶ前になってしまったが、社会保険庁の元長官にインタビューするのが流行った時期があった。なんかもう、彼らを問いつめて「酷いですね」と言いたいだけのような感じだった。当時の長官は責められて当然としても、それを繰り返しやる意味って何だろうか。社会正義とかいう大義名分を行使し、オレ様は第三の権力の持ち主だと、未熟な自我を満足させたいのかと思えてならない。

問いつめて問いつめて「無責任」「給料泥棒」なんて言葉をコメンテーターに期待する。それを見た視聴者が、庶民の気持ちを代弁してくれた、と思って溜飲を下げる造りとでもいうのか。違うだろ。奴らの責務は原因究明と責任の所在の把握、今後のためになる情報を流すことだ(後で、お粗末な原因が出て来たが。誰も何も思わなかったのか? バカのたまり場か、あそこは)。不届きものを単なるバッシング対象にするだけじゃ意味がない。

防衛庁と事務次官の問題もそうだ。対立云々で煽るのではなく、何が問題なのかを追及しろってんだ。まったく、その問題がどうして問題になっているのかも考えずに、ただ闇雲に何かコメントを引き出さないととか、自分こそが正義で悪の化けの皮をはがしてやるんだ的な発想で、無知のまま進むのは勘弁願いたいものだ。片山さつきが当選した後に、うなぎパイを持参されましたかなんて聴くのがいい例だ。政策も何もわからないから、平気でどうでもいいことが聴けるんだ。そして、そんな話題でしかついていけない食って寝るだけのトドがいるから、そんなやり方が成り立ってしまうんだ。

事の本質

世には事の本質を度外視した無意味な煽りだけを見て、世間を知った気になった阿呆があふれかえっている。そういや知人にもいた。NHKの受信料未納の件が大きく取りだたされた時、「そらみろ」と払っていないことを自慢した女がいた。詳しいことは忘れてしまったが、完全に論点がずれた日記を書いていたのは覚えている。

彼女は社会学を取っていた気がするのだが、どうもあの学問を専攻する人の中には、彼女のようなタイプが少なくない気がする。うちの大学に限定した話ではあるが、社会問題の本質に迫れない人が社会問題をわかった気になる学問として、社会学を履修している気がしてならない。

事の本質と言えば、朝青龍の帰国問題の一件で、モンゴル人が「日本じゃ力士がサッカーをするのは、そんなにいけないことなのか」といったことを言っていた。どれだけの情報が向こうで流れているかは知らないが、こっちと同じだけの情報量があるのだとしたら、かなり低い認識能力だと言わざるを得ない。サッカーしたからダメだった、原因だけ見たらそうかもしれない。問題はどんな状況下でサッカーをしたのか、だというのに……。こんなものなんだろうかね、人って……。

 

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