最後の学祭

記入日:2007/11/4

大学の学祭も学生として行くのは今年で最後である。長いようで短い4年間だった。振り返れば、人生そのものを休んでいたような感じさえする。そして、今振り返れば「あれもすればよかった」のオンパレードだ。いつだって終わってから気付くものだ、その時間を大切にしていなかった、大学生活を謳歌していなかったと。

その謳歌できなかった理由は不甲斐ない社会的地位に甘んじ、胸を張って人と付き合えなかったこと。もしくは、そこを開き直って学生になりきれなかったことにある。安い賃金で時間を拘束され、その時間のために遊びも制限し、気が付けば繰り返しの毎日に陥ってしまうのだ。今日がつまらない、じゃ明日はどうしようかと思えなかったことが原因か。

で、学祭の方は毎年のことながら満員電車以上の混み具合(一部)。構内を行き来するのも大変だった。そこで会ったのはよく見る顔ばかり。知り合い程度の人達と顔を合わせ、軽く挨拶して回ったに過ぎない。後は占いをやったくらいか。中には付き合い始めたのかな、と思わせる二人もいた。

驚いたのはイベントに参加する芸能人が、普通に構内を誘導されていたことだろうか。先頭に有名人の名前を書いたプラカードを持った人がいて、その後ろを芸能人が付いていく感じだった。関係者はカードを持っている人以外に一人か二人、それも近くを歩いているだけという感じだった。もう少し護衛っぽく誘導するのかと思っていたので、何だか肩すかしだった。

人のことを考えない

人のことを考えないないで生きた方が、ある意味においては楽な上に得だろうなと思う。例えばそう、今日の店長のように、私が住んでいる場所がそれを行うのに便利だからと、就労時間でもないプライベートな時間に作業するように頼んだりな。

お湯が足りなくなったので沸かし始めたはいいが、沸いてピーッといっているのに止めないババア。及び給湯室付近に座っているのに動かない連中。仕方なく、遠くで食事していた私が止めに行くことに。これ自体は些細なことだが、この手の「誰かがやってくれるだろう精神」にはうんざりしている。いっそ、放っておいてやろうか?

でもって最後は下の階の住人か。去年の今頃から仕事を始めたようだが、最近ずっと家にいるようなので、完全に辞めたと見える。まぁ、それはいい。問題は使い古した豆電球を外に置いていて、そいつが割れてガラス片が散乱し、それによって私の自転車がパンクしたことにある。しかも、未だに片付けられない破片群。いい加減にしろってんだ。

 

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